2-4 食べログ
「 」
ハルにはたしかに聞こえた。
でも聞こえたのは「 」の外枠、つまり、なんか喋ってるってことだけ。
いつもと同じように、なかみの部分はなにもわからなかった。
「なに?」
念のため声に出して聞いてみたけど、神様は答えなかった。
映画はフルCGのアニメで時間がちょうどぴったりということ以外なんでこれにしたのか自分でもわかんなかった。
ユウなら「やべえな」を連発しただろうなと思ったけど、感想はそれくらいだった。
それよりもハルはやることがあった。
早く帰って食べログに口コミを書くのだ。
いや、正確に言えば、口コミじゃない。小説を書くのだ。
食べログのなかに勝手に小説を書くのだ。
さらに正確に言えば、誰にも気づかれないようにまったく関係のない店の口コミ欄に小説を連作していくのだ。
ちょっと待って、それってなにどういうこと? もしかして、え、なんなん、ちょっと待ってそれやばくないハル?
この前親友と思ってたカナに表参道の展示会帰りにちょっとだけ話したらキモい的な反応きてちょっとツラみあったけどそれはしょうがない。
出来立てのゴハンに手をつけないバカな友だちや平気で嘘をつく恋人に腹を立てながら、ハルが見つけた今いちばんの愉しみなのだ。
誰にも奪わせないの。
CHAPTER3 3 またしてもブラックホール
そのままわたしはわたしのなかのブラックホールに落ちていった。
どこからも光は射してこない無限の闇と世界。
ふたつめのブラックホールだ。いや、正確には”裏”のそれだ。
前にも来たことがある。それも一度や二度ではない。気づいたときにはもうそうなっていた。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると行ったり来たりしている。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると。パソコンの前で膝を抱えていた仄暗いあの部屋に戻ってすぐにでもカーテンを開けたい。でもなんだかここも悪くはないような気もしている。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる悩みごともなにもない。やっぱ戻りたくなんかないのかも。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると。そういえばiPhoneってどこに行っちゃったんだろう。メール返さなきゃ。あれ?そういえば”ここ”にぐるぐるぐるぐるぐるぐる来る前に返したような気がする。いや、返してないぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるよね。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると。”ここ”に来てからなにぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるも食べてないけぐるぐるぐるぐるぐるぐるど不思議ぐるぐるぐるとお腹はぐるぐるぐるぐるすいていない。と思ったけどそんなぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐることもないかもしれない。でもなんぐるぐるぐるぐるにも食べたぐるぐるぐるぐるぐるぐるくないなぁ。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると。どのくらい”ここ”にいるんだろう。ほんの10ぐるぐるぐるぐる秒くらいな気もするけぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるど、10年ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるくらい経ったぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるような気ぐるぐるぐるもする。もっとぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるかも。もっと長いかもぐるぐるぐるぐるしぐるぐるぐるぐるれない。もっぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると短いかもしぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるれぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるない。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるところでわたしは誰なんだっけ?
CHAPTER3 2 ブラックホール
そのままわたしはわたしのなかのブラックホールに落ちていった。
CHAPTER3 1
-
「わたしにはなにもない」
久しぶりに口から出た言葉は、ひどく湿った音だった。
パソコンの灯りだけが煌々と光る暗がりにひとり、膝に顔をうずめてわたしは無意識に呟いていた。
いやぁでも、本当になにもないかと問われるとそうではないのかもしれない。
それなりの生活はしていたし、それなりに友達もいるし、それなりの恋人だっている。週末には賑わう大衆居酒屋でお酒を嗜む仲間だっているし、心地よい音楽を聴きにクラブへ足を運んだり、まぁそれなりの楽しい思いも人並みには経験している。なのに、いつも空っぽなのだ。心も体も、頭上に旋回するたしかなはずの感情さえもつかみどころがなく、何もかもが濁った透明なのだ。消化不良な気持ちを抱えたまま日々を過ごすことに、わたしは何となくいい気はしていなかった。
-
ときたま、“本当の自分”というものがわからなくなる。数十年つきあってきた自分という個体がわからなくなる。一番に理解し、共に生活を送ってきたはずなのに、何もかもが曖昧で、限りなく不完全で、どうしようもなく未熟なわたし自身がわからなくなる。
そのときに感じる、底が深くて出口のない、まるで大きなブラックホールに落ちてしまったかのような感情がとてつもなく怖かった。怖くて、うごけなかった。
2-2
ハルが「神様」を鞄にしまおうと少し身体をひねったとき、ちょうどガラス越しによく知る後ろ姿が見えた。「神様」と入れ違いに鞄の中からiPhoneを取り出し、LINEを開く。
am.11:27 ハル
「おはよう 今日暇だったら夜会おうよ」既読
am.11:28 ユウ
「おはよ〜 明日〆の仕事があって今日はこもりっきりだわ ごめん 落ち着いたらまた連絡するよ」既読
am.11:30 ハル
「そっか 頑張って 連絡待ってるー」
pm.12:05 ハル
「いまユウちゃんに似てる人見かけたけど仕事中だよね?」
一応、ハルはメッセージを送ったけれど本当はどうでもよかった。
嘘をつかれることも少なくないし、嘘をつく理由だってなんとなくわかっている。大抵の嘘はバレるところまでがワンセットだってこともわかっているから興味がなくてもとりあえず嘘を嘘として認める。
恋人の嘘に腹を立てながらも冷静を装い、絶望的な事態を想定して悲しみの海で泳ぐ準備をしつつも淡い期待、ここでいうならばハルの誕生日が近いことや昨日ゼクシィを立ち読みしたことを考慮した最高!ハッピー!うれしい!たのしい!だいすき!という状態も想定してはっきりと逃げ道を閉ざすようなことはしない。そういうメッセージを送ったのだ。
いつのまにか隣のサラリーマン達は席を立って半分以上残したコーヒーを返却口に捨てている。ハルもオレンジジュースの最後の一口を飲むと席を立った。そろそろ映画のはじまる時間。ほんの少しだけ駆け足で店を出ると秋のいい感じの風がハルの長いスカートを大きく膨らませた。
CHAPTER2 1
「不毛やな、その残業はだから不毛」
そう言いながらほとんど手をつけず冷めてしまったままにしている関西弁の若いサラリーマン二人のタリーズのTマークの入ったコーヒーカップを横目で見ながら、ハルはテーブルの上に出した家の鍵に「神様」をつけることに集中していた。
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昔からハルは、デートや女子会でもなんでも、頼んだ食事が運ばれてくるとすぐ手をつけたかった。どんなに話があっても、家族との食事でも、大好きな人とのデートでも。 運ばれてきたごはんが、そのとき世界でいちばん大事なのだ。二番目は……思いつかない。
運ばれてきたときの食べ物以上に大事なものなんて世界にはない。
運ばれてきた食べものに手をつけない人がいるなんて、だからハルには信じられなかった。
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「これおいしい」
ハルがそう言うと、男は「うん」といちおう頷いてみせて、また昨日倒産した¥@ー^m@mぴsぎお/sうs64//45¥678^^¥会社の話のつづきを続けた。
もう何時間もその話を聞いてるんだっけかなと思うくらい、その興味のない話は続いていた。
なんてつまんなくてなんて終わりのない話なんだろう。 いまきみはこの暖かいマッシュポテトよりも、本気でそのクソみたいな話をしたいんだね果てしなく。
そう思ってまたスプーンでマッシュポテトをすくって口に運んだ。「おとなのマッシュポテト」という名前だったから、たぶんこの黒いのは胡椒だ。初めて食べたけど、すごくおいしいし、好きだ。そう思った。
「……また、食べにきたいんですが」
男の話を遮ってそう言ってみると、はじめて男は話を止めて、ニッコリ笑った。
「だろ? ここうまいだろ。来週また来よう」
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ハルはでも、いわゆる世に言うグルメ、みたいなものにはまるで興味なかった。
おいしい、もなにも、ハルにとってはほとんどのものはおいしかったから。
食べログで4点近いいいレストランで食べるイタリアンももちろんおいしいけど、2.2点の酷評の嵐のような駅前の居酒屋だって不満を感じたことは一度もなかった。 チェーン店っていやだよね、という女子会で、一度自分が幹事のときに選んだ塚田農場は、一瞬みんなの顔を青ざめさせたけど、行ってみたら夢のようにおいしかった。「まあたまにはこういうマジョリティのためのチェーン店も悪くないよね」と仕切りたがりのエリは言ってたけど、そうじゃないよ。悪くないんんじゃない。 夢のようにおいしいんだよ。
その日も、「おとなになってからはもうマックとかロッテリアとかって行かないよね」という友達の話にも、いちおうは合わせてたけど全然わからない。全然おいしいし、マックもロッテリアも悪くないどころか、夢のようにおいしいよ。
誰かが自分のために作ってくれて、それが運ばれてきたときのものなら、なんでもよかった。 温かい、運ばれてきたばかりの食べものがうにょうにょと自分のからだにはいってくるときのあの気もち。
ゾクゾク。
ランチでついてくるあのほとんどコーンの入ってないコーンスープでも、焦げて雑に並べられた日高屋の餃子でも、いきなりステーキのあの鉄板の上でちょっと下品にジュージューいってる分厚い肉でも、誰が作ったかもわからない温かさが、私の気持ちを高揚させた。
冷たい刺身だって、アイスクリームだっていい。運ばれてきたときの冷たい刺身やアイスクリームには、冷たいという温度がある。
そのいろんな温度のものが咀嚼されぐちゃぐちゃになって転がるように自分の食道を通って胃に落ちていくぐるぐるとしたスローモーションのような感じ。 そしてその間は、ゆっくりと体の中が外の世界と繋がっていると感じるあの感じ。
ゾクゾクする。
それ以上に、生きてる、って感覚なんて知らない。
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テーブルの上で家の鍵に「神様」のキーホルダーをつける作業は思いの外手間どった。
『トイ・ストーリー』に出てくる三つ目の三人組エイリアンは、ピザ・プラネットの中にあるクレーンゲームの景品だ。その三人組のエイリアンは、上から降りてくるクレーンのカギ爪を「神様」と呼ぶ。
「かみさま〜」というヘンな合唱のような声で呼ぶ。
だからハルは、その三人組のエイリアンのことをずっと「神様」と呼んでる。
すてきな人につかまったらそれはほんとうに「神様」かもしれないけど、クソガキにつかまったらそれは地獄の使者だよ。