4

 

あのころとは違い、小さくなった湯船に寝っ転がる。水かさがゆっくり増えていく感覚を全身で感じる。身体をなぞる少しぬるめの水面がくすぐったくて気持ちいい。息を止めてるのに揺れるお湯。

 

…あぁそうだね。

 

小さく呟いた。心臓が動いてるのか。

 

 

なみなみになったお湯がだんだんと水になっていく音をききながら心臓以外を動かさない努力をする。二時間くらい経ったかな。そろそろだ。

お風呂場のドア越しに叫ぶ声が聞こえる。はぁ。

 

「ネーーーーンェ!!モ#/nニleハュ☆♪んラーpカシ$°ャ÷*ッ€ッンァにーー!!」

 

はいはいと生返事をしながらその辺にあったバスタオルで身体を拭きひたひたと少し湿った足の裏で部屋に戻る。

いつの間にか開けっ放しの窓の向こうでは強い雨が降っていて、窓際の床には水溜まりができ始めていた。

小さく丸まったふわふわはうらめしそうにこっちを見ている。時計を見るとちょうど正午を5分過ぎたところだった。

伝わっているのかどうかわからないけど精一杯申し訳なさそうな顔をしながらわたしは台所に立つ。冷蔵庫から牛乳とオレンジを取り出してミキサーに入れる。

 

「砂糖も」

 

無視するともう一回。

 

「砂糖も入れて」

 

窓際の瓶からひとさじすくって砂糖を入れ、ミキサーのスイッチを入れる。小さな部屋は轟音でいっぱいになり、ふわふわは耳をふさぐ。大きめのマグカップにそれを注ぐととととっと駆け寄ってきた。ちょうどわたしの腰くらいのところにある栗色のふわふわの髪の毛を撫でながらテーブルまで歩く。 …わたしのふわふわ。わたしのモンブランちゃん。わたしのピーターパン。わたしのかわいい男の子。

 

3

 

じめつく汗がTシャツからぬけないのでお風呂に入ろう。
そう思った。


お湯をためる間、裸になると、ものすごくへんなかっこうでくるぶしに貼ってあった絆創膏をはがした。絆創膏は湿っていて、ちょっと食べ終わったあとのグレープフルーツの皮みたいな匂いがした。
死んでるのかな私、と思った。

 

「死んでるのかな私」の部分は、口に出してしまった。

 

「死んでないよ」
ふわふわのそれは言った。

部屋のどこからか確かにその声は聞こえたんだけど、裸だから探すのはやめた。

 

 


小さい頃、穴の空いた蓮の葉柄は、子供たちのかっこうの遊び道具だった。茎を折って両側をナイフでスパッと切れば、ストローになった。それでシャボン玉を飛ばすのだ。葉柄の穴の大きさは気まぐれなので、いろんな大きさのシャボン玉ができる。だから子供たちはとても喜んでいつまでも遊んで、よく怒られた。


ある日、私は大きな葉のついた葉柄を家に持ち帰って、お風呂にそれを持っていった。

大きな葉の真ん中の葉柄とつながっているところは、ちょうどつぎはぎを薄い布で塞いだようになっていて、ここをうまく取り除くと葉柄の穴がつながるのだ。
お湯に入って、蓮の葉柄をくわえてみると、うまい具合に、葉っぱだけがお風呂の上に浮かんだ。
けど、いっこうに空気が送られてこない。たぶんそのつながっているところがうまく取れてなくて、ストローになってなかったのだ。
頭ではそれがなんとなくわかってはいたんだけど、なぜか意地でも私はそれをくわえたまま空気を吸い続けた。

酸素が不足してきた。

だんだん気持ちよくなって、いつか大人になって潜水艦に乗るときはこんな気分なのかなと思った。
あと、いつかセックスすることになったときは、こんな気持ちになるのかなとも思った。

 

覚えてるのはそこまで。
なんでもお風呂に浮かぶ蓮の大きな葉っぱを見つけたお母さんが、慌てて私をお風呂から引っ張りだして、頬を何度も叩いたとあとで何度も聞かされた。

 

私は布団に寝かされ、ひとりで泣いた。
ふわふわのそれを抱きしめて泣いた。

 

 

 

大きな蓮の葉っぱの下でこどもが死んでたらちょっと美しくない?
いまの私ならきっとそう言う。

 

 

 

 

2

 

-

 

クリーム色の淡い光が差し込む窓を横目に見つつ、ぬくい塊をひとしきり撫でたあと、もう一度ベッドに身を沈ませた。

 

  少しだけあのことを、
あの“嘘”を、 思い出してみる

 

耳元が覚えてるくぐもったテノールアルペジオのようになめらかな囁き…

 

 

ゆるゆると溶けだしたぬめっこく粘り気の強い記憶は、頭の中をじっとりと旋回する小さな虫のように思えて、何だか急に怖くなった私は急いでタオルケットをかぶり目を瞑った。

 

-

 

    気がつくと、ふわふわでぬくい柔らかなそれは、もう隣にはいなくて  私はまた、ひとりぼっちだった。

 

 

1

 

自分のしゃくりあげる声で目が覚めた。

 

-

 

子役が泣くとき、たいていの場合はお母さんを殺してるんだって。

曖昧な昨日の夜の記憶の中でその言葉がやけにしっかり残ってる。

大人になった今、泣けって言われたら何を想像するんだろう。誰を殺すんだろうね。

 

-

 

机の上に置かれた中身が半分以上残ってるストロングゼロのロング缶、食べかけの外国のお菓子、脱ぎ散らかした買ったばかりの服。

明け方のひんやりした風が足をすくい、締め切ったカーテンをゆったりと揺らしている。

 

ふと思い立って隣で気持ちよさそうに寝息を立てるふわふわの鼻と口を塞いでみた。

窓の向こうでは小鳥が鳴き始め、すっかりと空も明るくなった。5秒経ったのか5分経ったのかもよくわからない中でドキドキしながら手をどける。

 

ふたつの小さな風船はすぐに一定のリズムを取り戻した。

ほっとしている反面、どこかがっかりしている自分に戸惑う。涼しい9月の明け方にいつの間にか汗をかいてることに気づき、着ているTシャツで拭った。

 

涙は出てないんだよなぁ。